東松山市・高坂駅西口から約1キロに渡る通称・彫刻通り。この通りには、高田博厚氏の彫刻32体が設置されています。この野外彫刻プロムナードは、1982年に高田博厚氏が、東松山市で彫刻展と講演を開催したことが縁となって、まちづくりのシンボルとして設置されました。32体の彫刻には、作者の短文が添えられていて作品を一層引き立たせています。以下一部を紹介します。
高田博厚(1900-1987)
少年時代から文学・哲学・芸術に目覚め、18歳で上京し、高村光太郎の勧めで彫刻や翻訳に従事。31歳でフランスにわたり、ロマン・ロラン(作家)やアラン(哲学者)、ジョルジュ・ルオー(画家)をはじめとするヨーロッパの優れた知識階層と交流する。
第二次世界大戦中も日本に戻らず新聞記者として活動し、パリ外国人記者協会副会長を務める。難民生活を経て、戦後もフランスにとどまり、彫刻家としての創作活動や記者としての活動を再開、カンヌ国際映画祭日本代表を10年にわたり務めるなどフランスでは日本人を代表する存在となる。57歳の時にフランスで制作し手元にあった作品(彫刻、デッサンなど)はすべて処分して日本に帰国。新制作協会会員、日本美術家連盟委員、日本ペンクラブ理事、東京芸術大学講師その他を務めるが、徐々に引退し制作のみに専念する。